テレビ
テレビ番組は資本主義を色濃く反映している。
くだらないがおもしろい番組ばかりが生き残る。
それは作品や芸術としての価値は全くないが、娯楽としてだけの価値である。
バラエティは毎回連続して観なくても、気に入らなければ途中で観ることを止めても一向に構わない。観る自由度が高く、人気も出やすい。そこには同じようなタレントがどの番組にも出てくる。その時に人気のタレントである。
もう一つはストーリーのある番組。ストーリーの展開のおもしろさに惹かれ、刺激を求める。刺激的なものが好まれる。
刺激を求めるようになるとエスカレートする一方で、結局殺人に行き着く。
人が死ぬこと以上の刺激はないと言うことなのだろうが、日常的にそんなストーリーの作品ばかりが放送されている現状はどうなのか?
スポンサーは人気がある番組に投資する方が効率的なので、その様な番組にスポンスする。番組の質が落ちていることを危惧する声は非常に多い。にもかかわらず改善されないのは、資本主義の社会システムに有効な改善手段を打てていないからだと思う。
質の低い番組にスポンスする企業の商品を買わないことが有効な手段だと思います。
異常な殺人事件が多い。まるでサスペンスドラマそのものである。
現実と仮想の区別が付かない人が事件を起こす。しかもその妄想は恐らく大半の人が持っており、そのほとんどの人は自制していると思う。自制が効かないだけで誰もが事件を起こす可能性がある。人を殺すことに罪悪感がない。
なぜ人が死ななければいけないストーリーなのか、理解に苦しむ。
毎週殺人シーンがあるアニメがゴールデンタイムに放送されている。
これが異常でなくて何だろう?
娯楽として殺人が必要なら、その代償として殺されたために誰が悲しむのか、誰が責任をとるのかも見せるストーリーが必要だと思います。今のままでは殺人はゲームとしか見えない。そのプロセスを楽しむ。推理の材料にする。犯人を捕まえたら終わりではない。その後の償いが織り込まれないストーリーは危険です。
現実の社会は法律で規制されているはずであり、法律の中で殺人が許されている状況はない。自殺に関しても同様。殺されたり死んだりしなくても救済されるような社会システムのはず。にもかかわらずその様なことが後を絶たない。これは意識の問題と思う。
殺さなければならないような人がいるならば、法的に訴えれば手段はあるはず。
自殺しなければならい様な状況でも、救いがどこかにあるはず。
それよりも先に殺すこと死ぬことをを考えるのは、テレビの影響は多分にあると思います。
法的に規制することも必要だと思うが、票集めの人気商売である政治家が一般人から反論が多いと予測される人気番組の規制を提案する訳がない。
資本主義の自浄作用に期待するしかない。それには、異常な番組のスポンサーを減らす必要がある。つまり不買運動しかない。
この意見に賛同される方は実行してください。
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